桜を見て、日々の幸せを考えてしまうことは
桜を見に行きました
真っ黒な夜空にぼんやりと浮かぶ白い花びらたちが、幻想的で、非常に綺麗なライトアップだったので、幸せを感じました。
京都に行きましたが、多くの観光客で賑わっており、外国人も多く見られました。
ほとんどの外国人はマスクをしておらず、日本人よりもその割合は高いように思われました
有名な京都八坂神社に隣接する円山公園には、屋台が並んでおり、美味しいそうな匂いがしていました。
美味しいものを好きなだけ食べられるということは幸せなことです。
健康な人はその幸せに気付きにくとは思います。
大切なもの(に限らずあらゆるもの)は、失って初めてその大切さ(や存在の大きさ)がわかるのです。
何度も聞いたような話ですが、これは多くの人が経験したことのあることではないでしょうか。
私もこれまで何度もこれを経験してきました。
が、まだ身近なものの幸せに想いをはせることは少なく感じます。
もしその幸せを考えたように思っていても、失った際の大きな衝撃に適うことはないのではないでしょうか。
そんなことを思いながら、今日も桜を堪能させてもらったのですが、これができなくなる可能性がいつ訪れるかもわからないのです。
今日という日の幸せに、口だけでなく心の奥底から思い巡らせることができたなら、今できる最適解の人生になっているのではないかとも思っています。
そんな難しいことを考えず、ただ日々順調に生活することもまた、というかそれこそが幸せだとは感じますが、、。
2023/04/02