さつきやまい

5月はゴールデンウィーク

 

といっても良いほどに、その存在感は強い。

 

今年のゴールデンウィークは仕事がなく、全てを自由に使える年でした。

何日かお出かけをして、日頃のストレスを発散でき、非常に満足です。

だからこそ、人は五月病と呼ばれるものを患ってしまうのかもしれません。

 

楽しかった記憶が、頭の中から離れない。「ゴールデンウィークは5連休で長い」という考え方も、頭から離れない。

普段の学校や仕事が始まってしまえば、そんな休みへの思いは晴れて忘れることができるでしょうが、休み中はそうはいかない。暇になればなるほど頭によぎります。「もう休みが終わる」という悲しさが。

 

夏休みが終わる頃、私たちは学校が始まると言うウキウキ感と、もう休みがないという絶望感が入り混じります。

私たちが絶望を感じる理由は、休みが終わるからですが、具体的には何が悲しいのか。休み期間は勉強をしなくてもいいということもあります。ですが、ゴールデンウィークは課題がある場合も多いから、勉強が始まることだけではなさそうです。

 

私は、丸一日学校に行かなくて良い日、すなわちどこかへ出かけたり、家の中でゴロゴロする日がなくなることへの絶望だと感じます。

丸一日休みがないと、私たちは何もできません。

お出かけや、一日中寝るという行為は普段の学校がある日なら土日祝しかできません。その祝の一部分がGWです。

 

お出かけができない。

遠くに行けない。

美味しいものが食べられない。

新鮮味がない。

目の前の日々に面白みがない。

こんな面白みのない日を続ける必要があるのだろうか。

もう考えたくない。

 

そうして人は休み期間が終わるのを拒もうとしますが、それは抵抗して止めることができません。

私たちは、人生という長期間で自分を俯瞰することを苦手としているのかもしれません。目の前から自由な時間がなくなり、人は嫌気を覚えるのかもしれません。

 

それでも、生活していれば勝手に学校は始まり、勝手に授業は行われ、いつも通りの課題を嫌々ながらこなし、テストを迎え、長期休みを迎えます。

 

人生は繰り返しでできていると、時々思います。

人生の節目ごとに新しい人間関係を同じように捉え構築していくというのは以前にも書いたことがあります。

 

今回の長期休み明けの憂鬱も、その繰り返し。

嘆いても繰り返す。

 

みんな来てほしくないと思っています。

私は、そんな憂鬱を受け入れることができるでしょうか。

 

何もしないで寝ることで解決していいのでしょうか。

せっかくの休みだから何かしたほうがいいのでしょうか。

 

人生という長い視点で、私は今していることが、最善かどうかを考えるべきでしょう。

何もしないのは勿体無い。

 

と、思うことが大事なのかもしれません。

 

そう思うこと、そう思う人が増えることがこのブログの意義なのかもしれません。

 

 

書いていることに意味があると信じる。GWをこんなことに費やすのは意味があると信じている。

私のGWは充実していた。

 

皆さんも、このような客観的な文章を読み、考えていることで他の人よりも一歩踏み出していると思うようにしてみてはいかがでしょうか。

 

2023/05/07